白いページから始まる風景
二〇二四年四月、私はまだ何も書かれていないノートのような状態で、京都・伏見区深草に降り立った。中国で二年間学んだ日本語は、まるで新しいノートの最初のページに丁寧に書かれたタイトルのようで、格式ばって実際の会話からは遠かった。
深草の地で初めて交わした会話は、道沿いのコンビニでだった。「袋、大丈夫ですか」の問いに、「大丈夫です」と答えた。すると、本当に袋をもらえなかった。この小さな誤解が、私の日本生活の最初の1ページとなった。言葉の字面だけでは伝わらない、この社会の「空気」のようなものが存在する――それを肌で感じた瞬間だった。
二年目、ルームメイトと一緒に深草駅近くのマンションに引っ越した。私の日常で最も印象的だったのは、実はマンションのすぐ脇に広がる小さな田畑だった。毎朝七時半、学校へ向かう途中、必ずその畑の前を通る。雨の日も風の日も必ず誰かが畑で働いている。最初はただの風景の一部だったが、次第にその光景が私の一日のリズムになっていった。春には苗を植え、夏には草を取り、秋には実りを収穫する。おじいさんだけでなく、時々奥さんらしき人や、近所の人が手伝いに来ることもあった。彼らの動きには、慌ただしさがなかった。一つ一つの動作に「間」がある。「間」の概念が、この畑で初めて実感として理解できた。彼らは言葉を交わさなくても、自然な調和で作業を進めていた。鍬を入れるタイミング、苗を渡す瞬間、すべてが無駄のない流れの中にある。
深草は不思議な場所だ。駅前には現代的なマンションが立ち並び、一方で駅から十分も歩けば田園風景が広がる。私の生活は、この二つの風景の間にあった。マンションに戻り、窓から見下ろす畑は、もはや単なる「風景」ではなかった。私はもう眺めるだけの他人ではなかった。あの土の上に、自分の足跡を残したからだ。
卒業間近、私は気づいた。この二階の部屋は、私の異文化理解の「ちょうどよい高さ」だったと。一階に住んでいたら、土の匂いや虫の音に圧倒されていたかもしれない。もっと高ければ、畑は単なる「緑の模様」で終わっただろう。二階からは、細部を見つめながらも全体を感じられる。距離の取り方を、この窓が教えてくれた。
鴨川の水は流れ続ける。畑の作物は季節ごとに生まれ変わる。私もまた、新たな土地で種を蒔き、ゆっくりと根を張っていこう。
姚さん

